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100年前の今日、大逆事件により多くの無実の者が処刑されました。

1910年、明治天皇暗殺を企てたという容疑で幸徳秋水ら24人が逮捕され、11年1月24日の日に幸徳秋水ら12人が処刑され、菅野スガだけは1月25日に処刑され、坂本清馬ら12人が無期懲役になりました。菅野スガは、女性でただ一人処刑されました。


1.事件の概要とコラムを。

(1) 東京新聞平成23年1月23日付24面「こちら特報部」

大逆事件

 1910年、天皇暗殺を企てたとして大逆罪で社会主義者の幸徳秋水や各地の無政府主義者らが逮捕された。大審院の特別裁判は16日間の1審のみで、11年1月18日、被告26人中、24人に死刑判決。そのうち12人が天皇の恩赦で無期懲役に減刑されたが、24日に幸徳以下11人が、25日には事件当時、幸徳と同居中の新聞記者管野スガが処刑された。実際に計画に関与したのは4、5人とされ、日露戦争や韓国併合などで日本が帝国主義に傾倒する中、天皇制の強化を目指す第2次桂太郎内閣が、社会主義者らの弾圧のため事件をでっちあげたというのが定説。戦後に再審請求されたが、最高裁は67年に棄却した。」


 
(2) 東京新聞平成23年1月24日付「筆洗」

2011年1月24日

 夕暮れが近づくと、東京都新宿区内の小さな児童公園には冬の日差しは届かない。子どもたちの歓声も聞こえない公園の片隅に、汚れたブロック塀に囲まれて一つの碑がある

▼かつてこの地にあった東京監獄で刑死した受刑者を慰霊するために戦後、日弁連が建立した石碑だ。一九一一年、その監獄で大逆罪に問われた社会主義者の幸徳秋水らが絞首刑になってからきょう二十四日でちょうど百年になる

▼明治天皇を爆弾で殺す謀議をしたとされる事件の真相は戦前、闇に包まれていた。刑死者の多くは、予審段階で検事が捏造(ねつぞう)した調書などを基に罪をでっち上げられた。その事実が知られるのは戦後になってからだ

▼公判は非公開で、一人の証人尋問もなかった。大審院は一カ月足らずの審理で二十四人に死刑判決を下し、その翌日、天皇の恩赦で十二人が無期懲役に減刑されている。死刑執行は判決の日から六日後という異例のスピードだった

▼韓国を併合し、遅れてきた帝国主義国家が、戦争に反対する社会主義者たちを一網打尽にしようとしたこの事件は、決して教科書の中の世界ではない。証拠の改ざんや冤罪(えんざい)の多発など最近の検察の不祥事を見てもそれは明らかだろう

▼当時の新聞は政府の発表をうのみにして、何の疑問を差し挟むことなく、刑死者をむち打った。新聞も自らの過ちを問い直さなくてはならない。」



この大逆事件は、「冤罪という点、自由、表現の自由、民主主義への弾圧という観点など、多くの観点から考えなければならない重要な事件」(「2011/01/24 大逆事件百年後の意味 院内集会(参院議員会館)」レイバーネット)です。

それとともに、戦争賛成を表明すれば販売数が上がることもあって、積極的に戦争賛美報道を続けていたメディアにとっては、大逆事件の被告人は絶好の生贄(スケープゴート)でした。それゆえ、「当時の新聞は政府の発表をうのみにして、何の疑問を差し挟むことなく、刑死者をむち打った」(東京新聞)のであり、メディアの責任もまた大きいのです。

では、今現在はどうなのでしょうか。

証拠の捏造による冤罪事件を防止できているのでしょうかメディアは、冷静・公正な報道ができているのでしょうか戦時中の政府と同様に、現政権の首相である菅直人一派が一部の者を生贄(スケープゴート)にしているのを、新聞は鵜呑みにしてむち打っているのではないでしょうか

大逆事件は、今、まさに振り返ってみなければならない事件といえます。東京新聞では、大逆事件の一人に焦点を当てた記事を掲載していましたので、紹介しておきます。



2.東京新聞平成23年1月23日付24・25面【こちら特報部】

「大逆事件 無実の処刑」あす100年 非戦僧侶に汚名 獄中死
2011年1月23日

 天皇暗殺を企てたとして、社会主義者ら十二人が死刑に処された「大逆(たいぎゃく)事件」。政府のでっちあげが定説とされ、具体的な証拠がないままに多くの「無実の刑」が百年前の今月二十四、二十五日に執行された。同じく事件に連座し、獄中死したのが真宗大谷派の僧侶高木顕明(けんみょう)だ。圓光寺(愛知県一宮市)の住職大東仁(さとし)氏(46)が高木をテーマにした本を出版する準備を進めている。同じ僧侶から見た真実の高木の姿とは-。 (秦淳哉)

■愛知の住職「高木顕明」テーマ 出版へ

 「もともと仏教界の戦争責任を研究する中で、高木顕明という僧侶が日露戦争に反対し、仏教界にはプラスの歴史をつくった人だと分かった」

 親鸞が宗祖の真宗大谷派(東本願寺)名古屋別院(名古屋市中区)に、お勤めに来た大東氏はこう話し始めた。

 高木は同じ宗派の僧侶。困難な時代を一人の僧侶がどのように生きたのか、共感する面が多いという。「大逆事件との関係を抜きに語れない人物だが、平和を訴えた高木を描きたかった」。評伝「大逆事件と真宗僧侶 高木顕明の平和と平等(仮題)」(風媒社)を出版する理由を説明する。

 高木とはどんな人物だったのか。1864(元治元)年、現在の愛知県清須市で生まれた。小学校の教員をした後、現在の和歌山県新宮市の浄泉寺で住職を務める。檀家(だんか)には被差別部落出身者が多かった。

 ところが1910(明治43)年5月、長野県営林署明科製材所の機械工で社会主義者、宮下太吉が天皇殺害を企てて爆発物の爆破実験をしたとして、計7人が逮捕される「明科事件」が起きると、人生は一転した。

 これを契機に、政府は社会主義者の一掃に乗りだし、社会主義者の中心的存在だったジャーナリストの幸徳秋水らも関与したとする一大陰謀事件を「捏造(ねつぞう)」。幸徳と親交があった新宮の医師大石誠之助から計画を伝え聞いたとして、高木も逮捕された。

 当時の刑法に、天皇や皇后、皇太子などに危害を加えるか、または危害を加える計画を立てただけで死刑に処される「大逆罪」があった。高木は無実を訴えたが死刑判決となり、その後、減刑されて無期懲役に。しかし14年6月、失意のうちに秋田監獄で自殺した。享年50歳だった。

 高木は当初、差別意識があり戦争も賛美していたという。だが住職として人々の生活苦を目の当たりにするうちに「徐々に考え方を変えた」と大東氏はみる。「大逆事件が有名だから、事件の被害者としての高木ばかりが語られるが、仮に弾圧がなくても立派な僧侶だった」

 大逆事件は社会主義者や無政府主義者を弾圧するために、政府が事件を拡大させたとされる。しかし、本来の社会主義者と高木は異なっていると言う。「当時は平和や平等を説く仲間が社会主義者しかいなかったから友達になった。ただ、彼の主張の根底にあるのは仏教。社会主義の理論から学んだわけではない」

 さらに大東氏はこう続ける。「街の人の生活を見て、これでは駄目だと悟った。例えば亡くなった遊女が行き倒れのように捨てられるのを見て、高木は廃娼(はいしょう)運動を起こした。理論より人と出会って動いた。貧乏な人がもっとひどい目に遭うのが戦争だと気付き、日露戦争(1904~5年)にも反対を貫いた」

 しかし、戦争反対の姿勢や社会主義者との関係を許さない風潮が社会にはびこっていた。「仏教界は各宗派が戦争協力を競争し合っていた。大谷派も日露戦争で、開戦を決める御前会議よりも前に、戦争協力の部署をつくったほどだ」

 当時は僧侶が軍隊を慰問し、軍隊への献金を募ることも。戦死者の葬儀を豪華にし、名誉の戦死だったと遺族を慰めた。戦地に従軍僧侶を派遣し、戦死者のために現地で葬儀を執り行った。

■大谷派が86年後名誉回復 「国は再審請求棄却のまま」

 大逆事件が起きた1910年は日本が韓国を併合した年でもある。大逆罪の汚名を着せられた高木を、大谷派は永久追放処分にした。同時に宮内大臣に手紙を送り、事件の反省と今後も国家に尽くす決意を表明した。

 大谷派が高木の名誉を回復したのは96年。事件から86年後のことだ。反戦を唱えた高木に、大東氏は10年以上前から興味を持っていた。出版を思い立ったが、資料集めには苦労した。

 大東氏は「高名な僧侶ではないため資料が少なかった。裁判の尋問調書は国会図書館にあったがコピー禁止。最初は書き写していたが、後で知り合った学者からコピーをもらって助けられた。当時の新聞を見るために、和歌山県の図書館にも通った」と振り返る。

 昨年5月から執筆を始め、午後9時から12時まで作業。書き終えた感想を「国は再審請求を棄却したままだ。法的な名誉回復は難しくても、実質的な名誉回復が目的。周囲が高木の生き方からプラスの面を学び取ってくれれば」と話す。

■冤罪生む 構図変わらず

 大阪地検による厚生労働省の文書偽造事件で、証拠改ざんが発覚したのと同様、権力者側が都合よく犯罪者をつくり出した大逆事件の構図は冤罪(えんざい)が絶えない現代にも通じるという。

 大東氏はこう訴えた。「警察や検察が事件や証拠を捏造することは今もあると思う。だからこそ、逮捕や有罪だからといって相手を安易に切り捨てるなと強調したい。国が言っただけで、良い人か悪い人かを決めるなというのが教訓だろう」


「貧しい人の味方 功績知って」

 高木が住職だった遠松山浄泉寺は新宮市の中心部にある。本堂には高木の写真や資料などを展示し、毎年、命日の6月24日前後に法要を行う。大逆事件から100年の昨年は全国から約200人が参列した。

 山口範之住職は「92年、真宗大谷派本山が出版した高木に関する本の中に、史実と違う記述があった。『調べてほしい』と依頼したら、以後調査が進み、さまざまな事実が分かってきた。いつ戦争が起こるか分からない最近の情勢の中で、最後まで『非戦』を訴え続けられるだろうか。彼から学ぶことは多いし、彼には今も育てられている」と話す。

 同市の「『大逆事件』の犠牲者を顕彰する会」の二河(にこう)通夫会長も「高木は、新宮でさまざまな人に接する中で、いろんなことを学んだ。もう一人の犠牲者、大石誠之助を名誉市民にする運動をしているが、差別された貧しい人の味方になるなど、高木の功績ももっと知ってほしい」と語った。(新宮支局・吉岡逸夫)」

  

<デスクメモ>

 祖母は幼少時の通夜のちょうちん行列が忘れられない。北東北の寒村も日露戦争の勝利に沸いた様子を子供のころ聞いた。当時、戦争賛美の中で非開戦論者だった高木。真の仏教精神の立場を貫いたが、浄泉寺は「逆徒の寺」とされ、家族も迫害を受けた。今、東本願寺の平和の原点の一つでもある。 (呂)」



(1) 2つのポイントについて、触れてみます。まず、1点目として、真宗大谷派の僧侶高木顕明が、大逆事件の被告人として逮捕された背景です。

 「高木は当初、差別意識があり戦争も賛美していたという。だが住職として人々の生活苦を目の当たりにするうちに「徐々に考え方を変えた」と大東氏はみる。「大逆事件が有名だから、事件の被害者としての高木ばかりが語られるが、仮に弾圧がなくても立派な僧侶だった」

 大逆事件は社会主義者や無政府主義者を弾圧するために、政府が事件を拡大させたとされる。しかし、本来の社会主義者と高木は異なっていると言う。「当時は平和や平等を説く仲間が社会主義者しかいなかったから友達になった。ただ、彼の主張の根底にあるのは仏教。社会主義の理論から学んだわけではない」

 さらに大東氏はこう続ける。「街の人の生活を見て、これでは駄目だと悟った。例えば亡くなった遊女が行き倒れのように捨てられるのを見て、高木は廃娼(はいしょう)運動を起こした。理論より人と出会って動いた。貧乏な人がもっとひどい目に遭うのが戦争だと気付き、日露戦争(1904~5年)にも反対を貫いた」

 しかし、戦争反対の姿勢や社会主義者との関係を許さない風潮が社会にはびこっていた。「仏教界は各宗派が戦争協力を競争し合っていた。大谷派も日露戦争で、開戦を決める御前会議よりも前に、戦争協力の部署をつくったほどだ」」


真宗大谷派の僧侶高木顕明は、社会主義者ではなかったのですが、大逆罪により逮捕され、無期懲役となりました。逮捕されたのは、<1>社会主義者と親交があったこと、<2>平和や平等を説き、戦争反対の姿勢をとっていたことが、当時の政府及び日本社会(世論)にとって、排斥すべき対象だったからです。

当時、そうした排斥を行ったために、戦争回避のための行動が制約されてしまい、日本は無謀な戦争を開始し、破滅の道を突き進んだことは誰もが知っていることです。

われわれは、個人の尊厳の尊重という形で、多様な価値観を尊重することを憲法13条で明記しています。だとすれば、世論という感情論に反する行動をする人物だからといって排斥することは、現行憲法上、許されないはずなのです。

圓光寺(愛知県一宮市)の住職大東仁さん、「周囲が高木の生き方からプラスの面を学び取ってくれれば」と話しています。それはもちろんでしょう。そうした点とともに、世論という感情論に反する行動をする人物だからといって、そうした感情論で排斥するようなことは、絶対にしないという反省をすることもまた、学ぶべきことなのです。



(2) 2点目。

「大阪地検による厚生労働省の文書偽造事件で、証拠改ざんが発覚したのと同様、権力者側が都合よく犯罪者をつくり出した大逆事件の構図は冤罪(えんざい)が絶えない現代にも通じるという。

 大東氏はこう訴えた。「警察や検察が事件や証拠を捏造することは今もあると思う。だからこそ、逮捕や有罪だからといって相手を安易に切り捨てるなと強調したい。国が言っただけで、良い人か悪い人かを決めるなというのが教訓だろう」


 イ:メディアが、犯罪者であると延々と報道し続けることがあります。最近では、足利事件、厚労省の村木局長事件ですが、このような数々の冤罪事件がありがらも、また、有罪視するような報道をしないという報道指針を掲げているにもかかわらず、有罪視した報道を止めることはないのです。

「警察や検察が事件や証拠を捏造することは今もある」ことは当然です。メディアもそれは十分に分かっていながら、警察・検察リークを垂れ流して、人々を惑わすのです。特に、悪質なのは、村木局長事件のように、メディア(朝日新聞)が事件を煽り立てて、検察を動かし、結果、冤罪を生じさせてしまうことです。要するに、メディア(朝日新聞)による捏造(に極めて近い)があることもまた、十分に注意すべきことなのです。

捜査機関によるリークよって阿呆のように踊ってくれる報道につき、喜んでいる検察官はともかくとして、法曹関係者は、本音としては、メディアを全く信用していません。だから、真っ当な刑事弁護人は、都合の悪い情報は絶対に、メディアに話すことはありません。メディアによる捏造が怖いのですから。

多くの市民は、こうした法曹関係者の本音を知っているのでしょうか。もし、知っていれば、メディアの事件報道に左右される世論にならないはずです。


 ロ:小沢問題について、多くの法律関係者(検察官や刑事法を知らない法律学者を除く)は、次の引用する秋山賢三弁護士(元裁判官)と同意見でしょう。

「――あと、小沢一郎の起訴についても、あれは無理筋ですよねぇ。

 秋山 検察審査会の力なんかを借りて起訴になりましたが、私はあれはまず無罪判決しかないと思いますよ。ある新聞紙上でも発信したことがあるんですが、そもそも検察審査会には、強制力は必要ないと思います。「将来の法的な事柄についての予測」を求めること自体は極めて危険なことと言われていますし。裁判員裁判では量刑までもが裁判員の守備範囲になっていますが、それについても問題がないわけではありません。私は、検察審査会は従来の勧告機能で十分だという意見なんです。何よりも強制起訴を承認してもよいだけの制度的前提が、今の検察審査会いは全然備わっていないでしょう? もし強制力を与えるとなると、やはりメンバーを公開しないといけません。それから、被疑者本人の弁明を審査会としてきちんと聴取する手続き。それから、起訴の判断を誤った場合の損害賠償の問題ですよね。起訴自体が間違いだった、という場合もありますから。その場合に責任の問題が発生するのは当然のことです。」(秋山賢三(弁護士/元裁判官)=インタビュー・渋谷陽一「何故、裁判官は無罪判決を下さないのか」SIGHT(2011年2月増刊46号)33頁)


私はあれ(小沢問題の事件)はまず無罪判決しかない――。こうした意見は、法律関係者であれば、誰もが感じていることです。しかし、朝日新聞は、常軌を逸したかのように、いまだに小沢一郎氏を有罪視して、排除する報道を繰り広げています。こうした報道は、法曹関係者からすれば、「頭がいかれている」とか思っていません。

小沢問題に限らず、有罪視した報道を目にするたび、戦時中の政府と同様に、根拠の乏しいリーク情報で有罪と扱うことで、多くの無実の者を生贄(スケープゴート)にしていると、感じざるをえません。虚偽が多いリーク報道を変えるためには、また、そうした誤った報道から解放されるためには、市民が目覚めるしかないのです。



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【2011/01/24 17:32】 | 刑事訴訟法
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