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大阪市内で青信号の交差点を乗用車で走行中、赤信号なのに横断歩道を自転車で渡ってきた男性(64)をはねて死亡させたとして自動車運転過失致死罪に問われた事件について、大阪地裁(水島和男裁判長)は平成23年2月15日、過失を否定し無罪(求刑懲役1年8月)を言い渡しています。

この事件は、自動車運転過失致死容疑についてはいったん不起訴となったのですが、遺族の検察審査会への申し立てを受けた大阪地検は、再捜査を行い、自動車運転過失致死罪で起訴したという経緯であったという点に特徴があります。

元々、不起訴であったのに、検察審査会の申立てがあったことが契機となって起訴されたという経緯があった事件ですから、いわゆる「小沢問題」と同様と共通する点があるので、紹介したいと思います。



1.報道記事を幾つか。

(1) スポニチ[ 2011年2月15日 16:45 ]

交差点の死亡事故で無罪 青信号で衝突「過失ない」

 大阪市内で青信号の交差点を乗用車で走行中、横断歩道を自転車で渡ってきた男性=当時(64)=をはねて死亡させたとして自動車運転過失致死罪に問われた無職の男性被告(43)に、大阪地裁は15日、「運転の注意義務を怠ったとは言えず過失はない」として無罪判決を言い渡した。求刑は懲役1年8月だった。

 検察側は、被告が法定速度を約20キロ超える時速約80キロで走行し安全確認を怠ったと主張したが、水島和男裁判長は判決理由で「法定速度を守ったとしても信号無視をした被害者を予測できたわけではなく、事故を回避できたとは言えない」と述べた。

 被告は2008年11月17日午前0時25分ごろ、大阪市東住吉区の青信号の交差点を速度超過で走行中、赤信号を守らず横断してきた男性をはねて死亡させたとして自動車運転過失致死と道交法違反の疑いで逮捕された。

 検察側は同過失致死罪についていったん不起訴としたが、男性の遺族が検察審査会へ申し立てをしたことを受け再捜査し略式起訴。だが大阪簡裁が「略式不相当」と判断し、地裁で審理された。

 被告はすでに道交法違反罪については懲役1年2月の実刑判決が確定している。[ 2011年2月15日 16:45 ]」



(2) asahi.com:関西ニュース(2011年2月16日)

事故の被告に無罪判決 実況見分の不備指摘 大阪地裁
2011年2月16日

 自転車の男性をはねて死亡させたとして、自動車運転過失致死罪に問われた兵庫県の男性(43)の判決が15日、大阪地裁であった。水島和男裁判長は、事故後の実況見分では過失を認定できず、男性が過失を認めたとされる検事作成の供述調書の信用性も低いと判断し、無罪(求刑懲役1年8カ月)を言い渡した。

 事故は2008年11月17日未明に発生。大阪市東住吉区の交差点で、赤信号の横断歩道を自転車で渡っていた被害者が乗用車にはねられて死亡した。

 男性は自動車運転過失致死容疑などで逮捕されたが、大阪地検は同容疑について不起訴処分(嫌疑不十分)。男性は道路交通法違反(ひき逃げ)などの罪で懲役1年2カ月の実刑判決が確定した。その後、遺族による検察審査会への申し立てを受けて再捜査した地検が自動車運転過失致死罪で男性を略式起訴し、大阪簡裁が「地裁での正式裁判が相当だ」と判断する異例の経過をたどった。

 15日の地裁判決は、事故後の警察官の実況見分について「停止した車から自転車の見える位置を確認しており、走行中の状況を再現したとはいえない」と指摘した。再捜査段階の供述調書についても、検事から「罰金刑で終わる略式起訴の余地もある」と言われたとする男性が「罰金で済むならそれでいい」と考えて過失を認めたと判断。公判段階で、「交差点は見通しが悪かった」などとして無罪を求めた男性側の主張をほぼ認めた。

 男性は「裁判所が公平に判断してくれた。被害者が亡くなったことは申し訳ないと思う」と語った。(岡本玄)」



(3) 読売新聞(2011年2月15日23時28分)

ひき逃げ不起訴・再捜査で起訴、男性に無罪判決

 3年前に大阪市内で起きたひき逃げ事件を巡り、いったん不起訴となった後、大阪地検の再捜査で自動車運転過失致死罪に問われた兵庫県内の男性被告(43)の判決が15日、大阪地裁であった。

 水島和男裁判長は「被告の過失を認めるだけの証拠はない」として、無罪(求刑・懲役1年8月)を言い渡した。

 被告は2008年11月、大阪市東住吉区の交差点で、自転車で横断中の男性(当時64歳)を車ではね、逃げたとして同月、逮捕された。道交法違反(ひき逃げ)などで実刑判決が確定したが、自動車運転過失致死罪は一度不起訴となった。

 大阪地検は遺族が検察審査会に審査を申し立てたことを受け、再捜査。09年11月に略式起訴したが、大阪簡裁が略式起訴は不相当と判断したため、正式裁判が開かれていた。

 公判で被告は無罪を主張。水島裁判長は判決で、被告が捜査段階で過失を認めた検察官調書について、「『略式起訴か公判請求かを決めるのは自分』と検事に言われ、罰金で済めばと思い、調書に署名したという被告の公判供述には迫真性がある」として、信用性は低いと判断。さらに、事故の約10か月後に行われた実況見分結果も疑問視し、「被告が事故を避けられる地点で、被害者に気づいていたと認めるには疑いが残る」と述べた。

 判決後、被告は「裁判所が公平に判断してくれた」と話した。男性の妹(54)は「無念さが残る」と語った。

(2011年2月15日23時28分 読売新聞)」



(4) 毎日新聞 2011年2月16日 大阪朝刊

ひき逃げ:男に有罪判決 過失致死は無罪--大阪地裁

 自動車運転過失致死罪に問われた兵庫県の男性(43)に対し、大阪地裁は15日、無罪(求刑・懲役1年8月)を言い渡した。同じ事件で男性は道交法違反(ひき逃げ)の罪で起訴され、懲役1年2月の実刑判決(確定)を受けたが、自動車運転過失致死罪は当初、容疑不十分で不起訴処分だった。遺族が検察審査会に審査を申し立て、大阪地検は再捜査して略式起訴したが、大阪簡裁が略式不相当と判断して大阪地裁で審理されていた。

 起訴状などによると、男性は08年11月、大阪市内の交差点で、自転車に乗って赤信号で横断歩道を渡っていた男性(当時64歳)を車ではねて死亡させた、とされた。弁護側は「衝突は避けられず過失がない」と無罪主張していた。

 検察側は男性が法定速度を超えていたと主張したが、水島和男裁判長は「法定速度を守っても衝突を回避できたとは言えず、過失を認めるに足る証拠はない」と無罪の理由を述べた。死亡した男性の妹の西森淳子さん(54)は「過失を認めてほしかった」と話した。【苅田伸宏】

毎日新聞 2011年2月16日 大阪朝刊」



2.事件内容については、スポニチの記事が一番分かり易くなっています。

すなわち、交差点においての自動車と自転車との交通事故ですが、

<1>自動車は、交差点で青信号であったためそのまま走行した。
<2>他方、自転車は、横断歩道を渡ってはいるものの、赤信号であるにもかかわらず、その赤信号を無視して渡ってきた。
<3>そのため、自動車は、まさか赤信号を無視して通行してくるとは予想できず、自転車をひいて死亡させてしまった。


というわけです。こう分かり易く書くと、なぜ、起訴されたのだろうと、疑問に思うはずです。「え、自転車は、赤信号を無視して通行したの? なんでそんな危ないことをしたのだろう? ひかれても仕方がないんじゃないの……」と。


(1) まず、今回の裁判で問題となった規定は、自動車運転過失致死罪(刑法211条2項)です。この自動車運転過失致死罪(刑法211条2項)は、「必要な注意を怠」った場合のみを処罰するので過失犯です。

(業務上過失致死傷等)
刑法第二百十一条
 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。
2  自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、七年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。ただし、その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる。」


過失犯として処罰するには、注意義務違反が必要であり、注意義務を認めるためには結果回避可能性が必要です。さらには、「信頼の原則」の適用がない場合である必要があります。

(6) 結果回避可能性

 ……過失責任は、精神を緊張させていれば結果の予見が可能であり、予見に応じた適切な結果回避行為をとれば結果を生じなかったであろうという場合に認められる。したがって、結果を予見し適切な回避行為を行ったが、その時点では、結果回避可能性がなかったという場合には、当然に過失は否定されることになる。(中略)

 問題となるのは、道交法などの定める義務には違反しているが、その具体的義務を遵守していたとしても結果回避可能性はなかった場合の処理である……。判例には、……<3>黄色点滅信号なのに徐行義務を怠り交差点に進入したところ、赤色点滅信号を無視し一時停止を行わず、制限時速を40キロもオーバーした時速70キロメートルで、しかも、床に落ちた携帯電話を拾おうとして下を向いたまま交差点に進入した車両と衝突し、同乗者を死亡させたという事案に関し、徐行義務違反は非難に値するとしつつも、たとえ徐行義務を遵守していたとしても結果回避可能性があったとは認められないとして無罪とした事例(最判平成15・1・24判時1806号157頁=黄色点滅信号)などがある。……<3>についても、たとえ自分の方に道交法違反があったとしても、赤色点滅信号を無視し猛スピードで侵入してくる自動車があることについては具体的予見可能性がない(大塚裕史「過失犯における結果回避可能性と予見可能性」神戸法学雑誌54巻4号27頁)として過失犯の成立を否定するべきだと思われる。それは後述する信頼の原則が適用されるからである。もっとも、<3>事件の場合も、赤色点滅信号を無視して進入してくる車両の存在を予見できる特別の事情がある場合は別である。その場合には、道交法の定める徐行義務を超えて停止義務まで認めるべき場合もあるといわねばならない。(中略)

(7) 信頼の原則

 信頼の原則とは、「行為者がある行為をなすにあたって、被害者あるいは第三者が適切な行動をすることを信頼するのが相当な場合には、たとい被害者あるいは第三者の不適切な行動によって結果が発生したとしても、それに対して責任を負わない」として過失犯の成立を否定する原則をいう(西原春夫・交通事故と信頼の原則〔1969〕14頁)。主に交通事故に関して発展してきた理論である……。交通事件においては、<1>駅員が、酔っ払いの乗客が駅に降りたことを認識しつつ放置したところ、酔客が線路に落ちてやってきた電車に挟まれ死亡した事案につき「転落などの危険を惹起するものと認められるような特段の状況があるときは格別、さもないときは、一応その者が安全維持のために必要な行動をとるものと信頼して客扱いをすれば足りるものと解するのが相当である」として過失を否定した事例(最判昭和41・6・14刑集20巻5号449頁)。……がその代表例である。

 さらに、判例は、自分の方にも交通法規の違反があったという場合でも、なお、信頼の原則が適用し得ることを認めている。たとえば、……<4>黄色点滅信号で徐行義務を怠り交差点に進入したところ、赤色点滅信号なのに一時停止せずに交差点に進入した車両と衝突し1名を死亡、4名を負傷させたという事案に関し、特段の事情がない限り相手方運転者が「右信号に従い一時停止およびこれに伴う事故回避のために適切な行動をするものとして信頼して運転すれば足り、それ以上に、……あえて法規に違反して、一時停止をすることなく高速度で交差点を突破しようとする車両のありうることまで予想した周到な安全確認をすべき業務上の注意義務を負うものではな」いとした事例(最判昭和48・5・22刑集27巻5号1077頁)などがその例である。 」(西田典之・刑法各論〔第2版〕270~273頁(弘文堂、平成22年)


要するに、交差点が赤信号の場合、車両や歩行者は交差点に侵入してこないと信頼しているので、赤信号で侵入してきた車両や歩行者によって死亡事故が生じたとしても、信頼の原則が適用され、過失犯が否定されるのです。

文献に引用されている判例は、すべて「赤信号」ではなく「赤色点滅信号」の場合ですが、赤色点滅信号では一時停止義務がある以上、その一時停止義務を無視した通行者にこそ事故の責任があるのであって、相手方運転者には、過失が否定されているのです。今回の事例のような赤信号の場合には、通行者には停止義務があり、青信号で通行する相手方運転者にとっては、本来、安心して交差点を直進できる以上、過失が否定されるのは当然なのです。

分かり易く言えば、交差点において赤信号を無視する通行者・車両は、まさに自殺そのものです。自殺をするために道路に飛び出してきた者・車両とぶつかり、死傷させたからといって、死傷に対する刑事責任を問われるはずがないのです。交差点における交通ルールには、社会全体でそれだけ「重い信頼」があるのです。これが現代の社会で暮らしていく市民のルールです。



(2) そうだとすると、今回の事例では、自動車と自転車との間の事故ですが、死亡した自転車運転者の方は、赤信号で交差点に進入してきた事例ですから、まさにこの信頼の原則が適用される場面であり、法解釈上、自動車運転者は、過失犯が否定されるというのが通常の結論です。

法定速度違反があったようですが、そうた道交法違反があっても問題はありません。「判例は、自分の方にも交通法規の違反があったという場合でも、なお、信頼の原則が適用し得ることを認めている」のです。ですから、今回の事件でも、「法定速度を守っても衝突を回避できたとは言え」ないとして過失を否定するのも、法解釈上、通常の結論でしょう。

ですから、この事件において、当初、大阪地検が不起訴にしたのは妥当だったのであり、大阪地裁が無罪としたのも当然の結論でしょう。

もっとも、「赤色点滅信号を無視して進入してくる車両の存在を予見できる特別の事情がある場合は別」ですが、この事案では「交差点は見通しが悪かった」ようですので、「特別の事情」があるして過失犯を肯定することは無理だったようです。

これに対して、読売新聞の記事では、「ひき逃げ不起訴・再捜査で起訴、男性に無罪判決」、「『被告の過失を認めるだけの証拠はない』として、無罪(求刑・懲役1年8月)を言い渡した」という文面にしています。これでは、「本来は有罪となったはずなのに、捜査の不備で証拠が不十分だったので残念ながら無罪となってしまった」と言いたいかのようです。

しかし、前述のように、この事案は、信頼の原則が適用される典型例といえるような事案です。ですから、証拠のいかんを問わず、法解釈上、過失(注意義務違反)を認めるのは、あまりにも困難な事案だったのですから、単に証拠が不十分だったから無罪になった事案ではないのです。その意味で、証拠が足りなかったから無罪となったというような読売新聞の記事は、間違いというべきです。



(3) この事件の問題性は、検察審査会の申立てがあったために、その申立てに引きずられ、無理な捜査を行い、偽りの実況見分調書・虚偽の供述調書を作成した点です。

 「水島和男裁判長は、事故後の実況見分では過失を認定できず、男性が過失を認めたとされる検事作成の供述調書の信用性も低いと判断し、無罪(求刑懲役1年8カ月)を言い渡した。(中略)
 その後、遺族による検察審査会への申し立てを受けて再捜査した地検が自動車運転過失致死罪で男性を略式起訴し、大阪簡裁が「地裁での正式裁判が相当だ」と判断する異例の経過をたどった。
 15日の地裁判決は、事故後の警察官の実況見分について「停止した車から自転車の見える位置を確認しており、走行中の状況を再現したとはいえない」と指摘した。再捜査段階の供述調書についても、検事から「罰金刑で終わる略式起訴の余地もある」と言われたとする男性が「罰金で済むならそれでいい」と考えて過失を認めたと判断。」


はっきりいえば、<1>実況見分調書は、正確に記載せずに、過失を認める意図の下に恣意的な記載になっているため、使い物にならない証拠である、<2>被告人の供述調書は、検察官が「罰金で済むから」というような利益誘導がなされた挙句にとられたものであるので、(本来、任意性がないとして証拠にならないといいたいところだが)信用性がないので証拠にならない、というわけです。

いわゆる「被害者遺族」は、不起訴に不満が生じる気持ちはやむを得ないものがあります。死亡しているのですから、その怒りをぶつけたいという思いも生じるでしょう。しかし、そうした被害者感情を検察審査会に申し立てをすると、法解釈上、有罪は無理であろうとも、いくら証拠がなくても、市民感情次第で、強制起訴になり得るのです。(小沢一郎・元民主党代表の事件も、法解釈上有罪が無理なのに、しかも証拠がないのに強制起訴に至っており、全く同じです。)

過去には、検察審査会が不起訴相当の議決を出したため、再捜査して起訴したものの、結果的に無罪判決が確定した事件は「甲山(かぶとやま)事件」「岡山遊技場放火事件」など、数多くあります。検察審査会の議決には強制力のない時代ですら、こうした冤罪事件が発生していたのですから、議決に強制力が付与された現在の制度の下では、冤罪が生まれる可能性はかなり高まってしまうのです(「強制起訴可能となった検察審査会法は妥当か?~疑問を呈した小沢発言を契機として」(2010/09/05 [Sun] 16:56:01)参照)。

今回の事件もまた、検察審査会への申立てが起訴の契機となりました。この事件もまた、自動車運転過失致死罪についてですが、検察審査会による冤罪事件の一つといえるのです。




3.最後に。

(1) 今回の“被害者”は、当時64歳の男性であり、赤信号で渡っていれば自動車にひかれてしまうという“常識”は、いままでの人生経験から十分に分かっていたはずです。この“被害者”も親であれば、自分の子どもに対して、「赤信号では絶対に渡ってはいけない。車にひかれてしまうよ。」と、厳しく教えていたはずです。

そうだとすれば、法律論がどうであろうとも、正直なところ、誰でも、交差点で赤信号を無視して通行すれば、自動車にひかれてしまっても仕方がないと思うはずでしょう。“被害者”当人さえも

赤信号なのに通行すれば、ひかれてしまうことをうすうす分かっていながら、安易に赤信号を無視して通行し、その結果、自動車にひかれてしまった――。これは、「赤信号で渡ってはいけない」という大事な交通法規を遵守しなかった本人が一番悪いのだというしかないのです。

なお、この事件は大阪で起きた事件です。大阪では、関東と異なり、赤信号でも通行するという歩行者が多いようです。そうした大阪市民に蔓延する悪癖が遠因となって、安易な判断で赤信号を無視してしまい、交通事故に至ったのかもしれません。

イラち大阪人、青信号待てない?…死亡事故多発

 大阪府内で歩行者や自転車に乗る人が信号無視し、死亡する事故の割合が全国平均の2倍に達していることが、府警の調べでわかった。
 昨年の死亡事故では、両者の信号無視が占める割合は全国平均の3・7%(173件)に対し、府内は8・1%(16件)。府警は歩行者らだけでなく、ドライバーにも注意を呼びかけている。
 府警によると、同様の死亡事故は、2006~09年の4年間に81件発生し、東京に次いで全国ワースト2位だった。交通量や信号が多い幹線道路で多発しているという。」((2011年2月14日11時00分 読売新聞)



(2) 法律論として色々論じてきましたが、そんなことを知らなくても、通常の常識的な感覚でもって判断しても無罪という結論に至る事件であったと思われるのです。(もしかしたら、大阪では、赤信号で通行し始めたら、青信号でも停止義務があり結果責任的に過失責任を負うべきという、特殊な意識があるのでしょうか。大阪での検察審査会では、そういう――法理論としては認められない――特殊な意識、特殊な感情論で有罪判断をしてしまうのかもしれません。)

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2.事件内容については、スポニチの記事が一番分かり易くなっています。

すなわち、交差点においての自動車と自転車との交通事故ですが、

<1>自動車は、交差点で青信号であったためそのまま走行した。
<2>他方、自転車は、横断歩道を渡ってはいるものの、赤信号であるにもかかわらず、その赤信号を無視して渡ってきた。
<3>そのため、自動車は、まさか赤信号を無視して通行してくるとは予想できず、自転車をひいて死亡させてしまった。


というわけです。こう分かり易く書くと、なぜ、起訴されたのだろうと、疑問に思うはずです。「え、自転車は、赤信号を無視して通行したの? なんでそんな危ないことをしたのだろう? ひかれても仕方がないんじゃないの……」と。


(1) まず、今回の裁判で問題となった規定は、自動車運転過失致死罪(刑法211条2項)です。この自動車運転過失致死罪(刑法211条2項)は、「必要な注意を怠」った場合のみを処罰するので過失犯です。

(業務上過失致死傷等)
刑法第二百十一条
 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。
2  自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、七年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。ただし、その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる。」


過失犯として処罰するには、注意義務違反が必要であり、注意義務を認めるためには結果回避可能性が必要です。さらには、「信頼の原則」の適用がない場合である必要があります。

(6) 結果回避可能性

 ……過失責任は、精神を緊張させていれば結果の予見が可能であり、予見に応じた適切な結果回避行為をとれば結果を生じなかったであろうという場合に認められる。したがって、結果を予見し適切な回避行為を行ったが、その時点では、結果回避可能性がなかったという場合には、当然に過失は否定されることになる。(中略)

 問題となるのは、道交法などの定める義務には違反しているが、その具体的義務を遵守していたとしても結果回避可能性はなかった場合の処理である……。判例には、……<3>黄色点滅信号なのに徐行義務を怠り交差点に進入したところ、赤色点滅信号を無視し一時停止を行わず、制限時速を40キロもオーバーした時速70キロメートルで、しかも、床に落ちた携帯電話を拾おうとして下を向いたまま交差点に進入した車両と衝突し、同乗者を死亡させたという事案に関し、徐行義務違反は非難に値するとしつつも、たとえ徐行義務を遵守していたとしても結果回避可能性があったとは認められないとして無罪とした事例(最判平成15・1・24判時1806号157頁=黄色点滅信号)などがある。……<3>についても、たとえ自分の方に道交法違反があったとしても、赤色点滅信号を無視し猛スピードで侵入してくる自動車があることについては具体的予見可能性がない(大塚裕史「過失犯における結果回避可能性と予見可能性」神戸法学雑誌54巻4号27頁)として過失犯の成立を否定するべきだと思われる。それは後述する信頼の原則が適用されるからである。もっとも、<3>事件の場合も、赤色点滅信号を無視して進入してくる車両の存在を予見できる特別の事情がある場合は別である。その場合には、道交法の定める徐行義務を超えて停止義務まで認めるべき場合もあるといわねばならない。(中略)

(7) 信頼の原則

 信頼の原則とは、「行為者がある行為をなすにあたって、被害者あるいは第三者が適切な行動をすることを信頼するのが相当な場合には、たとい被害者あるいは第三者の不適切な行動によって結果が発生したとしても、それに対して責任を負わない」として過失犯の成立を否定する原則をいう(西原春夫・交通事故と信頼の原則〔1969〕14頁)。主に交通事故に関して発展してきた理論である……。交通事件においては、<1>駅員が、酔っ払いの乗客が駅に降りたことを認識しつつ放置したところ、酔客が線路に落ちてやってきた電車に挟まれ死亡した事案につき「転落などの危険を惹起するものと認められるような特段の状況があるときは格別、さもないときは、一応その者が安全維持のために必要な行動をとるものと信頼して客扱いをすれば足りるものと解するのが相当である」として過失を否定した事例(最判昭和41・6・14刑集20巻5号449頁)。……がその代表例である。

 さらに、判例は、自分の方にも交通法規の違反があったという場合でも、なお、信頼の原則が適用し得ることを認めている。たとえば、……<4>黄色点滅信号で徐行義務を怠り交差点に進入したところ、赤色点滅信号なのに一時停止せずに交差点に進入した車両と衝突し1名を死亡、4名を負傷させたという事案に関し、特段の事情がない限り相手方運転者が「右信号に従い一時停止およびこれに伴う事故回避のために適切な行動をするものとして信頼して運転すれば足り、それ以上に、……あえて法規に違反して、一時停止をすることなく高速度で交差点を突破しようとする車両のありうることまで予想した周到な安全確認をすべき業務上の注意義務を負うものではな」いとした事例(最判昭和48・5・22刑集27巻5号1077頁)などがその例である。 」(西田典之・刑法各論〔第2版〕270~273頁(弘文堂、平成22年)


要するに、交差点が赤信号の場合、車両や歩行者は交差点に侵入してこないと信頼しているので、赤信号で侵入してきた車両や歩行者によって死亡事故が生じたとしても、信頼の原則が適用され、過失犯が否定されるのです。

文献に引用されている判例は、すべて「赤信号」ではなく「赤色点滅信号」の場合ですが、赤色点滅信号では一時停止義務がある以上、その一時停止義務を無視した通行者にこそ事故の責任があるのであって、相手方運転者には、過失が否定されているのです。今回の事例のような赤信号の場合には、通行者には停止義務があり、青信号で通行する相手方運転者にとっては、本来、安心して交差点を直進できる以上、過失が否定されるのは当然なのです。

分かり易く言えば、交差点において赤信号を無視する通行者・車両は、まさに自殺そのものです。自殺をするために道路に飛び出してきた者・車両とぶつかり、死傷させたからといって、死傷に対する刑事責任を問われるはずがないのです。交差点における交通ルールには、社会全体でそれだけ「重い信頼」があるのです。これが現代の社会で暮らしていく市民のルールです。



(2) そうだとすると、今回の事例では、自動車と自転車との間の事故ですが、死亡した自転車運転者の方は、赤信号で交差点に進入してきた事例ですから、まさにこの信頼の原則が適用される場面であり、法解釈上、自動車運転者は、過失犯が否定されるというのが通常の結論です。

法定速度違反があったようですが、そうた道交法違反があっても問題はありません。「判例は、自分の方にも交通法規の違反があったという場合でも、なお、信頼の原則が適用し得ることを認めている」のです。ですから、今回の事件でも、「法定速度を守っても衝突を回避できたとは言え」ないとして過失を否定するのも、法解釈上、通常の結論でしょう。

ですから、この事件において、当初、大阪地検が不起訴にしたのは妥当だったのであり、大阪地裁が無罪としたのも当然の結論でしょう。

もっとも、「赤色点滅信号を無視して進入してくる車両の存在を予見できる特別の事情がある場合は別」ですが、この事案では「交差点は見通しが悪かった」ようですので、「特別の事情」があるして過失犯を肯定することは無理だったようです。

これに対して、読売新聞の記事では、「ひき逃げ不起訴・再捜査で起訴、男性に無罪判決」、「『被告の過失を認めるだけの証拠はない』として、無罪(求刑・懲役1年8月)を言い渡した」という文面にしています。これでは、「本来は有罪となったはずなのに、捜査の不備で証拠が不十分だったので残念ながら無罪となってしまった」と言いたいかのようです。

しかし、前述のように、この事案は、信頼の原則が適用される典型例といえるような事案です。ですから、証拠のいかんを問わず、法解釈上、過失(注意義務違反)を認めるのは、あまりにも困難な事案だったのですから、単に証拠が不十分だったから無罪になった事案ではないのです。その意味で、証拠が足りなかったから無罪となったというような読売新聞の記事は、間違いというべきです。



(3) この事件の問題性は、検察審査会の申立てがあったために、その申立てに引きずられ、無理な捜査を行い、偽りの実況見分調書・虚偽の供述調書を作成した点です。

 「水島和男裁判長は、事故後の実況見分では過失を認定できず、男性が過失を認めたとされる検事作成の供述調書の信用性も低いと判断し、無罪(求刑懲役1年8カ月)を言い渡した。(中略)
 その後、遺族による検察審査会への申し立てを受けて再捜査した地検が自動車運転過失致死罪で男性を略式起訴し、大阪簡裁が「地裁での正式裁判が相当だ」と判断する異例の経過をたどった。
 15日の地裁判決は、事故後の警察官の実況見分について「停止した車から自転車の見える位置を確認しており、走行中の状況を再現したとはいえない」と指摘した。再捜査段階の供述調書についても、検事から「罰金刑で終わる略式起訴の余地もある」と言われたとする男性が「罰金で済むならそれでいい」と考えて過失を認めたと判断。」


はっきりいえば、<1>実況見分調書は、正確に記載せずに、過失を認める意図の下に恣意的な記載になっているため、使い物にならない証拠である、<2>被告人の供述調書は、検察官が「罰金で済むから」というような利益誘導がなされた挙句にとられたものであるので、(本来、任意性がないとして証拠にならないといいたいところだが)信用性がないので証拠にならない、というわけです。

いわゆる「被害者遺族」は、不起訴に不満が生じる気持ちはやむを得ないものがあります。死亡しているのですから、その怒りをぶつけたいという思いも生じるでしょう。しかし、そうした被害者感情を検察審査会に申し立てをすると、法解釈上、有罪は無理であろうとも、いくら証拠がなくても、市民感情次第で、強制起訴になり得るのです。(小沢一郎・元民主党代表の事件も、法解釈上有罪が無理なのに、しかも証拠がないのに強制起訴に至っており、全く同じです。)

過去には、検察審査会が不起訴相当の議決を出したため、再捜査して起訴したものの、結果的に無罪判決が確定した事件は「甲山(かぶとやま)事件」「岡山遊技場放火事件」など、数多くあります。検察審査会の議決には強制力のない時代ですら、こうした冤罪事件が発生していたのですから、議決に強制力が付与された現在の制度の下では、冤罪が生まれる可能性はかなり高まってしまうのです(「強制起訴可能となった検察審査会法は妥当か?~疑問を呈した小沢発言を契機として」(2010/09/05 [Sun] 16:56:01)参照)。

今回の事件もまた、検察審査会への申立てが起訴の契機となりました。この事件もまた、自動車運転過失致死罪についてですが、検察審査会による冤罪事件の一つといえるのです。




3.最後に。

(1) 今回の“被害者”は、当時64歳の男性であり、赤信号で渡っていれば自動車にひかれてしまうという“常識”は、いままでの人生経験から十分に分かっていたはずです。この“被害者”も親であれば、自分の子どもに対して、「赤信号では絶対に渡ってはいけない。車にひかれてしまうよ。」と、厳しく教えていたはずです。

そうだとすれば、法律論がどうであろうとも、正直なところ、誰でも、交差点で赤信号を無視して通行すれば、自動車にひかれてしまっても仕方がないと思うはずでしょう。“被害者”当人さえも

赤信号なのに通行すれば、ひかれてしまうことをうすうす分かっていながら、安易に赤信号を無視して通行し、その結果、自動車にひかれてしまった――。これは、「赤信号で渡ってはいけない」という大事な交通法規を遵守しなかった本人が一番悪いのだというしかないのです。

なお、この事件は大阪で起きた事件です。大阪では、関東と異なり、赤信号でも通行するという歩行者が多いようです。そうした大阪市民に蔓延する悪癖が遠因となって、安易な判断で赤信号を無視してしまい、交通事故に至ったのかもしれません。

イラち大阪人、青信号待てない?…死亡事故多発

 大阪府内で歩行者や自転車に乗る人が信号無視し、死亡する事故の割合が全国平均の2倍に達していることが、府警の調べでわかった。
 昨年の死亡事故では、両者の信号無視が占める割合は全国平均の3・7%(173件)に対し、府内は8・1%(16件)。府警は歩行者らだけでなく、ドライバーにも注意を呼びかけている。
 府警によると、同様の死亡事故は、2006~09年の4年間に81件発生し、東京に次いで全国ワースト2位だった。交通量や信号が多い幹線道路で多発しているという。」((2011年2月14日11時00分 読売新聞)



(2) 法律論として色々論じてきましたが、そんなことを知らなくても、通常の常識的な感覚でもって判断しても無罪という結論に至る事件であったと思われるのです。(もしかしたら、大阪では、赤信号で通行し始めたら、青信号でも停止義務があり結果責任的に過失責任を負うべきという、特殊な意識があるのでしょうか。大阪での検察審査会では、そういう――法理論としては認められない――特殊な意識、特殊な感情論で有罪判断をしてしまうのかもしれません。)

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【2011/02/17 04:22】 | 刑法
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